なかむらファミリークリニックの沿革・物語
AI時代に、私の行きたいクリニック
― なかむらファミリークリニックができるまで、そしてこれから ―
なかむらファミリークリニックの歴史は、二代にわたる「地域から求められる医療」への応答の連続でした。初代・中村澄三が外科医として始めた診療所から、二代目・中村憲史が内科クリニックとして再出発し、今は美容医療まで——時代と共に診療内容は変わっても、「地域に必要とされ、求められたことに誠実に応える」という姿勢は変わっていません。院長自身の言葉で、その歩みをお伝えします。
1-1 創業の原点
地域に求められ、24時間応えていた医療
1977年 — 中村外科医院 開設
1977年、中村澄三がこの地に外科医院を開業した頃、周囲にはまだ田んぼが広がり、夜になるとあたりは静まり返るような環境でした。今のように医療機関が密集している時代ではなく、「困ったときに頼れる場所」は、地域の診療所しかありませんでした。
有床診療所としての中村外科医院では、外傷や骨折の診療、ギプス固定、アキレス腱断裂の治療、けがをした子どもの縫合処置といった日常的な外科診療から、虫垂炎、胃潰瘍、胃がんの手術まで、幅広い医療を一手に担っていました。
当時は、夜間や休日に基幹病院が救急患者を受け入れる時代ではありません。救急車も、まずは地域の診療所へ運ばれてくる。患者さんから「ここしかない」と頼られ、できる限りのことを、時間を問わず引き受ける。それが特別なことではなく、地域に医療を開くということの当たり前の姿でした。
中村澄三は、その期待に応えることを使命として、24時間365日、医療に向き合っていました。
1-2 二代目院長の原点
医師としての覚悟を叩き込まれた日々
1991年 — 熊本大学医学部 卒業/第一内科 入局
二代目院長・中村憲史は、熊本大学医学部を卒業後、第一内科に入局しました。当時の第一内科は、神経内科・呼吸器内科・消化器内科を柱とし、特に神経難病の患者さんが多く入院されていました。
ALSなど、病気が進行する中で、人工呼吸器を装着するかどうかという、重い選択を迫られる患者さん。若く、人生経験の浅い研修医にとって、その現実は簡単に受け止められるものではありませんでした。
患者さんの病状だけでなく、その人の人生や家族の想いに向き合うこと。指導医からは「患者さんのために全精力を尽くせ」と求められ、厳しい言葉で叱責されることも少なくありませんでした。
正直、心身ともにきつい日々でした。しかし今振り返ると、この時期に「医師としてどうあるべきか」を徹底的に教えられたことが、現在の診療姿勢の土台になっています。
1-3 救急医療の現場で感じた疑問
「防げたかもしれない命」
1990年代前半 — 熊本労災病院・済生会熊本病院 勤務
大学病院での研修後、熊本労災病院、済生会熊本病院に勤務。夜間や休日の救急対応を数多く担当しました。
当時は、高血圧や糖尿病といった生活習慣病の治療が、社会全体として十分に行き届いていない時代でした。脳卒中で意識を失ったまま運ばれてくる患者さん、重い後遺症を残したまま人生が一変してしまう方。そして、救命できずに亡くなるケースも決して少なくありませんでした。
「この方は、もっと早く診ていれば違ったのではないか」
「病気になる前に、防ぐことはできなかったのだろうか」
救急の現場で繰り返し感じたこの疑問が、後に 生活習慣病を本気で診るクリニックをつくりたい という強い思いへと変わっていきました。
1-4 専門性の追求と帰郷
一流を目指し、そして戻る決断
1996年 — 国立がんセンター東病院(現・国立がん研究センター東病院) 国内留学
消化器内科を専門とし、国立がんセンター東病院(現・国立がん研究センター東病院)へ国内留学。当時は、5mm未満の陥凹型早期大腸癌という「幻のがん」をいかに発見し、手術以外で治療するかが最先端のテーマでした。
全国から集まった医師たちと、朝早くからのカンファレンス、夜遅くまでの研究。「一流の内視鏡医になる」という目標に、全力で取り組んでいました。
「一流になるまで、故郷には帰らない」
そう覚悟していた矢先、父ががんで倒れます。姉が実家の医院を引き継ぎ、最終的には、実家の医院で父を看取ることができました。医師として、そして息子として、この経験は、その後の人生観と医療観に深く影響を与えました。
1-5 なかむらファミリークリニックの再出発
若さと覚悟で、地域に応える
1997年 継承/1998年 改称・再出発(31歳)
1997年、二代目院長として医院を継承。1998年には「なかむらファミリークリニック」として再出発しました。
31歳での開業は、決して恵まれたスタートではありませんでした。実績も知名度もなく、「できることは何か」を考え続けた結果、夜間診療、日曜診療を毎週行うという選択をしました。
生活習慣病の患者さんが、仕事を休まずに受診できる時間帯。急な皮膚トラブルでも、相談できる場所。特に皮膚科は、その時間帯に診療している医療機関が当院しかなく、多くの患者さんが来院されました。
それは、地域から必要とされている証でもありました。
1-6 女性の声から生まれた美容皮膚科
かよこクリニックの誕生
2010年頃 — 美容皮膚科を併設
2010年頃、熊本には美容医療を専門的に扱う皮膚科がほとんどありませんでした。美容に関する悩みを抱えた女性たちは、どこに相談すればよいのか分からず、困っていました。
そうした声を受け、「女性が安心して相談できる場所をつくりたい」という想いから生まれたのが、女性専用の美容皮膚科「かよこクリニック」です。
保険と自費の枠を超え、女性の人生に寄り添う医療を提供する。それもまた、患者さんに求められて生まれた医療でした。
1-7 現在、そしてこれから
求められた医療に応え続けるということ
現在 — 内科を軸に、地域に応える総合診療へ
なかむらファミリークリニックの内科は、当初、内視鏡検査・治療を中心としていました。しかし地域の方々が本当に求めていたのは、生活習慣病を確実に診てくれること、そして急病の際に、きちんと診てくれることでした。
その声に応え、診療の軸は少しずつ変化し、今も成長を続けています。
その時代、その地域で、患者さんに求められ、頼まれたことに、医療として誠実に応えてきた。それが、なかむらファミリークリニックの歴史であり、これからも変わることのない姿勢です。
章の結び
患者さんが生活習慣病を克服し、身も心も、そして肌も健やかに、満足のいく人生を歩んでいただくこと。
それが、なかむらファミリークリニックが大切にしている想いです。
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